「勝手にまとめないで」

常務理事の渡辺です。
団体の内部だけでなく、他のところでも
「学びの場」ってところを企画したり、提供する機会の多いわたくし。
そんな「学びの場」などで人前に立ち、終わる時間を迎える頃になると
「何かまとめなくちゃ」とか
そんなつもりはないとしても
「ちょっとは気の利いたこと言ってお土産にしてもらおうかな」
なんていう欲が出てきやすいものです。
少し前、本を読んでいて
こんな場面の話に出会いましたのでちょっと紹介させてもらいます。
〈勅使河原〉
・・・ うちの息子の話なんですけどね。
学活の時間にいろいろな意見が闊達に出されて、ひとつの結論にはまとまらないうちにチャイムが鳴ったらしいんです。
そしたら先生が「・・・と、いうわけで、今日の話はこうこうこういうことでしたね」と、まとめたそうで。
それに対して、教室の後ろから息子がトコトコ前に歩いて行って
「それぞれが考えて出した意見に対して、最後に先生が結論のように話し合いをまとめるのは違うんじゃないか」と、言ったみたいで。
放課後に学校から私に電話がかかって来ました。
そんなこと、初めて言われたと。
〈竹端〉
ここは実は大事なポイントだと思います。
学校の先生には「まとめなければいけない」という、なにか脅迫観念があるんじゃないかと思います。
「これくらいできないと困るのはきみだよ」?
勅使河原麻衣 ー 編著
竹端寛氏との対話の中より

この息子くん、すごい!!
パチパチ👏と拍手を送りたいですよね。
エピソード的には子どもにこのセリフを言われたあとの
先生の受け方がどんな風だったかすごく気になるところですが・・・
お母さんに電話をかけて来たのは自分の気づきを伝えたかったからかなぁ・・・??
それとも・・・??
で、
このエピソードから私が考えたことはふたつ。
ひとつは自分のこと
ちょっと時間切れ気味に終わるような時、(結構あるかも知れない)
学習者の前に立つ自分のとっている態度、姿勢はどうだろう?
それが主体的に学んでもらおうという場なら どうあるべきだろうか。
その時その時で違うとは思うけど
自分にとってはこれからもずっと宿題かな。
そして
もうひとつは学校現場、教室内でのこと。
よく「学習性無力感」って言葉で言われているけど
この子のように先生にハッキリ言える子は
今の日本ではそんなに沢山いるとは思えないですよね。
となると、勝手に先生にまとめられてしまって
「モヤモヤ」が残ってもそのまま
ってことが多いのかな? 子どもたちにとって。
そんなことが続くと
ホントに「自分たちが考えたことって何だったんだろう」
「話し合っても意味ないじゃん」ってことになり、
「無力感」を学習させられてしまいますね。
それが何度も重なると・・・
ぁ~、こわい。
「こうならないようにするにはどうすれば」 ってことを
学校現場ではしっかりと向き合ってもらいたいですね。
そして、私も。
子どもを信じ、学習者を信じる姿勢こそが大事なんだな
と、わかってたようなことを改めて感じさせてもらった
この勅使河原さんの息子くんのエピソードでした。
ぁ、この勅使河原麻衣 さんの他の著書から感じたこと、
また別の機会にお話しさせてもらいますね。
予告でした。

