カレンママ南三陸の旅

カレンママ旅日記第2弾^^;;
物見遊山で 東北に出かけるのは申し訳ないと ずっと東北に行けないでいました。
でも東北の現在の様子をこの目でみなくてはと ・・・・
この5月の連休に行ってきました![]()
レンタカーで 気仙沼 鹿折地区・陸前高田・南三陸の志津川地区、歌津地区・石巻・
仙台とまわってきました。
気仙沼 鹿折地区、復興支援のためにも食べなくては!と ふかひれラーメンを
食べに、ツルツルッと・・・のはずが 食堂でこの地区の震災時の様子を写した
雑誌を見て絶句!!想像を越えていました。
この平和にみえる場所があのような様子だったとは・・・![]()
そして、陸前高田へ。陸前高田は奇跡の一本松で有名になりましたが、海岸ににょきにょきとなぞの物体![]()
高台造成地 から出る土砂を市街地まで運び出す巨大なベルトコンベ
ヤーだそうです。これを使うとトラックだと9年かかる土砂の運搬が3年でできるとか。
そして、南三陸町のモアイ像を目印に、さんさん商店街へ。
きらきらうに丼は、完売(泣)
南三陸町防災庁舎へ。テレビで何度も見た景色ですが、あまりにも悲しく、たくさんの
人が祈っていました。そこに立ってみると、どんなに怖く逃げ場がなかったかわかります。
南三陸では、津波が昔から繰り返されていたらしく
倒れた碑には、昭和8年「地震があったら津波の用心」と書かれていました。
そして、一日目の宿、歌津地区の民宿「やすらぎ」三浦さんのお宿へ。
やすらぎさんのある歌津地区は、津波に飲まれ、46戸のうち35戸が流失した地区です。
船も流され、すべての道が途絶し、約2週間の間支援物資も届くことがなかったとのこと。
かろうじて残ったやすらぎさんに集落の32人が身を寄せ、井戸水で生き延びたそうです。
その後も多くのボランティアや復旧工事の作業員の宿舎
を受け入れてみえます。![]()
三浦さんのお宅の裏は三浦さんご夫婦が
花木を植えてきた山があります。「私が亡くなる頃には、いっぱいにしたいわ。都会で
あくせく働かなくても ここへ来て漁師をやれば 生きていける
三浦さんの親せきに
ならない?」と言われたのが印象的です。
南三陸は、津波に流され人口が減っています。
「朝早いけれど午前中仕事して あとはゆっくりできる生活できるよ。」![]()
新鮮な魚類に舌鼓、ほややほたて、たこも名古屋とは、ぜんぜん味が違います。機会
があれば ぜひ三浦お母さんのあたたかい笑顔に包まれてください。
多くの人たちに助けられたことを感謝し、この体験、生きることを伝えようとする、三浦
おかあさんの姿に一同感動しました![]()
「海辺を行くときは、車に救命具を入れてね。ホームセンターで3千円もしないで売っ
てるから。」と話してくれました。
そして、大川小学校へ。なぜ?なぜ?そばに山がありながら、
逃げる指示ができなかったのか、あの場所に立つと頭がくらくらします。![]()
卒業記念の壁だけが妙にきれいに残り涙を誘います
。子どもたちは、こわかったでしょう。![]()
報道でみる親御さんの無念を改めて生々しく感じました。
川が導線になって 津波は、押し寄せます。
その恐ろしは、現場に行かなければ実感が伴いません。
怖さは、計り知れないけれど経験や知恵があれば、建物や物は壊れても
ある程度、命を守ることはできる
守ってほしいと思いました。
そして、一度その場所にたつことは、何回テレビで見るより、衝撃を受けます。
ぜひ 一度東北に足を運んでください。![]()

