信頼できる関係であること。
先日、「信頼」という言葉に出会いました。
こんにちは、asuです☆
・・・いやいや?信頼という言葉はもちろん知っていましたよ
でも自分にとって衝撃的な出会いだったので、
そのことを書こうと思います。
中学生と小学校高学年の子どもさんを持つお父さんとの話していたときのこと。
とある話の流れから、その人は私に「裏切るなよ」と言ったのです。
(と書くと少々乱暴な言葉遣いに聞こえますね
でもそれは乱暴な会話ではなかったので誤解なきよう)
それを言われたとき、少しびっくりして、ふと意地悪心で
「子どもさんにもそう言うんですか?」と聞き返してしまいました。
そうしたら、
「それは当然だろう、信頼しているから裏切るなよ、と言うさ」
と、そのお父さんは言ったのです。
私はとたんに、なるほどー!と感心しました。
ただ「裏切るな」と言われても、なんだかそれって怖いだけに聞こえませんか?
脅かされているような、そんな気持ちになってしまうかもしれない。
少なくとも私はそう感じていました。
でも、「信頼を裏切るな」と言われたら、
まず「自分は信頼されているんだ」という肯定感をもつことができるのでは?
と思えたのです。
例えば無言の圧力としての「裏切るなという感じ」からは、
「『期待』しているから裏切るな」という感じ方もできると思います。
でも、期待されてもその期待にこたえられないこともありますよね。
そして、期待されるプレッシャーにも疲れてしまうんじゃないかと思うのです。
だけど「信頼」ならどうか。
自分をひとりの人間として認めてくれている、信頼されている
という気持ちを持てるんじゃないでしょうか?
「期待」を裏切るのは簡単だと思うんです。
期待にこたえられないことなんてたくさんあると思うから。
でも「信頼」は、
自分の意思でしか裏切れないんじゃないかと思いました。
最初に書いた「お父さん」の子どもはいいなぁ~と思いました。
信頼できる子どもがいることもうらやましいと思ったし、
子どもが信頼されている親子関係だということもいいなぁと思いました。
家庭は複雑そうですが、
信頼のおける子どもとお父さんであるということを
これからも大切にしていける家族でいてほしいな
なんて思ったのでした
最後に言っておきたいことを少し書きます。
いじめ自殺、いじめの報道が相次いでいますね。心が痛みます。だからよけいに何も書けなくなってしまうほど、私のこころは弱いです。
1994年に愛知県でも中学生の男の子がいじめが原因で自殺しました。まだいじめ自殺というのが今ほど多くなかった時期です。その子のお父さまの講演を聴いたチャイルドラインあいちの仲間も多数います。皆涙して聴いていました。
今回、信頼関係について書きましたが、いじめのことも含めて書くととんでもなく長くなりそうだったので割愛しました。信頼関係ができていれば全て良いと考えているわけではないことを、最後に書いておきたいと思います。