「大阪人の話なのにオチがない」 について色々考えてみる

こんにちは! きくお[B]です。

私、実はこう見えても大阪人なんです。

父親のご本家は船場、母方の実家は天王寺区の商売人。

育ったのは尼崎でね。

ダウンタウンの松ちゃん達を送り出した街。

なので本当にコテコテの関西人として育ちました。

(今では愛知での生活の方が長くなっていますが)

ですから子どもの頃からの価値観は 「カッコいい」 とか 「賢い」 より
「面白い」 の方が断然上。
誰かが面白い話をするとその上を行こうとする奴が必ずのように現れ、
「オレの方が面白いやろ」 とか
「オレの方がもっとアホやで~!」 とかの面白いの自慢合戦になってしまいます。

だからそんな中に 「落ち」 のない話をする奴が現れると

 「で・・・??」 と、言われ、

 「それでおしまい?? …ぁ、そう」

と、相手にされなくなってしまうという

子ども世界の厳しい現実を味わうことになっておりました。

「自分自身を笑える」 とか 「笑いに出来る」 という こういう文化、
わたくしは大好きだし誇れると思っています。
それは本当なんですが・・・
時々、ちょっと疲れてくるんですよね、実際。
どんどん被せてくる感じとか
面白くないと話せない感じとかがねぇ~
わかるかなぁ~? この感じ。


人が日々感じるコトやそこに起こっているコトは
必ずしも 「面白いオチ」 がある訳じゃないですもんね。

「どうしたらいいのかなぁ・・・」 で止まってしまう話も多いし、
なんだか 「モヤモヤ」 するだけで上手く他の人に話せそうにないコトもいっぱいありますでしょう?!

桂枝雀さんの落語であえてサゲ(落ち)を作らないお話があります。

落語ではサゲの一言で普通は 「あはは」 と笑ったり、
「なるほど」 とか 「そうね」 と思えて
ひとつのお話を聞き終わったぞ と思えるのですが

そのサゲで落としきらないことで一瞬、その場が 「シーン」 となってしまいます。
でもその場に投げられた最後の言葉は確実に相手の心に届いていて 波紋を起こすのです。

そして、そこから先はこの落語を聞いたお客さんそれぞれのモノになっていくのです。

「こういう面白さ っていいなぁ・・・」 と青年時代のわたくしは思ったのです。
それはボケたり、突っ込んだりの面白さを競うばかりの関西地方の会話に

ちょっとだけ疲れていた私のハートを微妙に揺らせた出来ごとでした。 


よーく考えてみると
日々起こっている様々な事柄はそんなに面白いことばかりはない訳で
でも、何でもないその事柄に 「どう反応する自分がいるのか」
ってことで面白さがあったり、残念さがあったり、
怒りがあったり、悲しさがあったりするんですよね。

他人には上手く言いにくい感情も もちろん沢山あるでしょう。
でも、そんな時に面白さが最優先の場には近づけませんよね。


それが案外、「友達には話し難い」ってことのひとつにあるような気が私は致します。


チャイルドラインが 「相談」 じゃなくていいよ。とか
「何を話してもいい」
「話したいことが自分でもよくわからなくてもいい」

っていうのはとても大事なことで

上手く言えないことは大人でも子どもでもいっぱいあるはずです。

だからこそ 「それでOK!!」 「いいじゃない。」
どんな話でも とにかく最後までしっかり話を聞いてもらえる。

「そういう場がある」
と、いうことが子どもたちの安心感につながるんだよなぁ~ 
きっと。。。。

と色々、オチのあるような 無いような話を考えた

きくお[B]でありました。

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