刈谷の事件で思うこと

梅雨に入って![]()
「あぁ今年も半年過ぎてしまったんだなぁ![]()
」と
月日の過ぎる早さに驚いています![]()
こんにちは、〇タです![]()
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最近、週に一回ですが
学校に行っていない子どもたちと一日を過ごしています![]()
そこに来ているのは男子二人。
なかなかパワフルです![]()
調子に乗りすぎて、やりすぎちゃうこともしばしば。
そんなつもりじゃなかった一言も飛び出してきます。
私は納得のいかないことや、
嫌なことをされたり言われたりした時は
真剣に怒ります![]()
私の嫌だと思った気持ちを伝え、説明を求めます。
彼らはそれを「けんか」と言います。
「怒られた」ではなく「けんか」
何だか、その表現がうれしいのです。
対等にやれてる自分を確認します。
ある日の一日の振り返りでは
「〇タとけんかしたけど仲直りできてよかった」と![]()
伝え合う方法を知れば、きっといざこざした関係を
修復する力はついていきます。
子どもにはその術を身につける
力があると信じています![]()
その力は周りのおとなの働きかけと
経験から学ぶことでついていくものだと私は思っています。
刈谷の高校生が亡くなった事件。
罰を与える方法ではない解決方法があったはず。
それを体験して育ってこられたんだろうか?
罰を与えられることが解決と学んでいたんではないだろうか?
そんなことを思うと、気持ちが梅雨空の様になってしまうのでした![]()

