刈谷の事件で思うこと
梅雨に入って
「あぁ今年も半年過ぎてしまったんだなぁ」と
月日の過ぎる早さに驚いています
こんにちは、〇タです
最近、週に一回ですが
学校に行っていない子どもたちと一日を過ごしています
そこに来ているのは男子二人。
なかなかパワフルです
調子に乗りすぎて、やりすぎちゃうこともしばしば。
そんなつもりじゃなかった一言も飛び出してきます。
私は納得のいかないことや、
嫌なことをされたり言われたりした時は
真剣に怒ります
私の嫌だと思った気持ちを伝え、説明を求めます。
彼らはそれを「けんか」と言います。
「怒られた」ではなく「けんか」
何だか、その表現がうれしいのです。
対等にやれてる自分を確認します。
ある日の一日の振り返りでは
「〇タとけんかしたけど仲直りできてよかった」と
伝え合う方法を知れば、きっといざこざした関係を
修復する力はついていきます。
子どもにはその術を身につける
力があると信じています
その力は周りのおとなの働きかけと
経験から学ぶことでついていくものだと私は思っています。
刈谷の高校生が亡くなった事件。
罰を与える方法ではない解決方法があったはず。
それを体験して育ってこられたんだろうか?
罰を与えられることが解決と学んでいたんではないだろうか?
そんなことを思うと、気持ちが梅雨空の様になってしまうのでした