「祈る」って気持ちについて

こんにちは! きくお[B]です。
今回は少しゆるっとわたしの頭の中のこと、話させてもらいますね。

ぅ~んと・・・ね、
日々、色々考えることあるんだけど・・・
今日は「祈る」って気持ちについてとか

自分は特定の宗教とかで「祈る」ってことはしてないんだけど
「誰かのため」 とか
「こうあって欲しい」って思う時に  「祈る」って言葉を使ったり、
ホントに願ったり、祈ったりしてるかなぁ・・・

それをもうちょっと延長させて日常に「祈る」を取り入れてみようかな。
ちょっと毎日やってみようかな。

そしたらどうなるだろ、自分は。

◆毎日祈るのは 「本当の気持ち」を知るため
1人でもいいし、誰かと一緒でもいいから、
自分の好きな方法で毎日祈ってみよかな。

◆人は何故、祈るのか あるいは
何故、祈らねばならないのかっていうのは 
祈ることでしか埋めることの出来ない空白が生まれるからなのかも知れない

神様に何かをお願いするのではなく

「流されてしまいがちな自分と向き合うこと」とか
「見失ってしまいがちな自分とつながること」かも知れない

表面上の願いが叶えられることよりも
もっともっと深い人生を生きられる自分がいること 

「祈り」「祈ること」
誰かを思い続けること
誰かのために願い続けること

それは「神」にというより
何者かによって生かされている「自分」に
自分と誰かに出会うこと

「誰かとともにあるこの社会」のことを考え続けることなのかな・・・

そしてね、
「祈り」「思い」「願い」を続けること
その継続は 
「行動」になっていくのかな


それは大きな「行動」じゃなくてもいい
ひとりひとりの「願い」や「祈り」が小さな具体的行動につながっていけば・・・

こんな思いの中、
わたしは「子どものこと」を思い、祈り続けていきたい
そんな風に思いながら
 この場所にいるな・・・
 こんなことしてるな・・・
 この人たちと一緒にいるな・・・

今回は
こんな私の頭の中の言葉たちでございました。