おとなは、こどもをどう思っているのか?
こんにちは。DAIです。
今日は、急に成長した兄弟のこどものお話です。
先日、親戚の集まりがありました。
そこでは、小学2年生になる兄の子ども(以下、ユウくん)が、年長さんになる親戚の男の子と遊んでいました。
ユウくんはひとりっ子のため、これまでの僕たち兄弟だけの集まりでは、年下の子と遊ぶ姿を見たことがありませんでした。
しかし今回は、親の兄弟の家族も集まったため、そうした小さな子と接する様子を初めて見ました。
具体的には、年長さんの乗った三輪車を押してあげたり、一緒に手を繋いで次に遊具に連れて行ったり…
その姿を見た私たち家族は、「ユウくん、急にお兄ちゃんになったね〜子どもの成長は早いね〜」と言いあっていました。
さて数日後。この出来事を思い出し、こんなことを思いました。
「ユウ君は本当に急にお兄ちゃんになったのか?」
たしかに、これまでの集まりでは、わがままを言ったり好き勝手に走り回るなど、子どもらしい言動が多少はみられました。
しかし、今回の集まりではそうした行動はほとんどありませんでした。
じゃあ、その日に急に成長したのか?
実はそうではなく。ユウくんは、単にお兄ちゃんとして振る舞う機会が僕たちの前ではなかっただけではないか。
そう思って、これまでのユウのおかれた状況を思い出しました。
すると、ひとりっ子のユウ君は、僕たち兄弟の集まりでは、大人に囲まれて、ずっとただひとりの子どもでした。
だから、子どもっぽく見えていた可能性もあると思いました。
そうすると…あの年長さんがいたからこそ、お兄ちゃんとして振る舞う必要がでてきて、ユウくんはお兄ちゃんに見えたのではないか?
以上、そんなことを思いました。
これって大人でも同じことが言える気がします。
学生時代の友人といるときの私、職場の仲間といるときの私、家族といるときの私は結構違うと思います(もちろん同じ方もいると思います)。
これって、ゆるぎない「私」がいて、その時その状況に応じたキャラを使い分けているっていうよりも、その時その状況、そしてその場にいる人達によって引き出される「さまざまな私」が出たり引っ込んだりしているのかもって思います。
さて、最初の話に戻ります。
ユウ君は、親戚の集まりで、あの年長さんのおかげで、お兄さんの側面を引き出してもらったとします。
ひるがえって、僕たち大人は子どもの色々な面を引き出してあげられているのか?
もしかして様々な面を引き出すのではなく、逆に固まったイメージだけで見てしまってないか。
例えば、数回の失敗だけで、ダメな子としてみていないだろうか?
例えば、ひとりでは問題を解決できない未熟な存在とみなしていないだろうか?
チャイルドラインでは、受け手になるために半年間の養成講座を受講する必要があります。
その講座では「子ども」を、自分で問題を解決できる存在であると考えていると習いました(もちろん、緊急の場合や心と体に危険がおよぶ場合は介入する必要があるとも習います)。
だからこそ、アドバイスや評価はせずに、その子の話に耳を傾けて聴きます。
そうすることで、子どもが自分の問題に向き合うことを、支えられるのですと。
そんなふうに、「こどもはどんな存在か?」ってところまで、養成講座では習ったな〜と思い出した出来事でした。
最後に、今度ユウくんに会ったら、試しに大人と話すように話しかけてみようと思いました。
どんな反応をするのか楽しみです(笑)
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