言葉と社会のお話

こんにちは、広報部ブログチームのDAIです。
今日は僕の仕事と関係する「言葉」についての、個人的なお話です。

先日、僕が働いている会社の20代の男性が、こんなことを言っていました。
「俺って、まだまだ子どもなんっす!」と。


どんな状況かと言いますと。仕事中にお客さんである60代の女性とおしゃべりしている時、その方が貯金して家を買ったことに対して、この男性は自分は無駄遣いしてお金を貯められない理由として言いました。
この男性の意図としては、自分はまだ未熟だと言うことで、年上を敬おうとしたのだと思います。
よくある世間話です。


ここでふと気になったのが、「子ども」という言葉の意味です。
辞書で確認してみると、「年のいかない幼い者、親がもうけた子」などの他に、この男性が使ったように「行動などが幼く、思慮が足りない者」という意味もありました。
でも・・・子どもは本当に思慮が足りないのか・・・?
確かに僕たち大人からしたら、何でそんなことする!?考えれば(上手くいかないって)分かるでしょ!!と言いたくなるときがあります。
でも、それは単に経験が少ないだけで、その子なりにちゃんと考えて行動している場合もあります。
僕も仕事を始めたばかりの頃は、経験が少ないため初めての出来事ばかりで、先のことを予想できず失敗ばかりしていました…


さて話は戻りますが、この子どもという言葉に幼く思慮が足りないという、この何となくネガティブな意味が含まれているのは世界共通でしょうか?
英語で子どもは「child」、ここから派生した「childish」には「幼稚な」という意味があるそうです。

ではそれ以外は?
ブラジルのアマゾン奥地にピダハン族という少数民族がいます。
この民族が話すピダハン語には、「子ども」という一般的な概念を表す言葉はないそうです。
じゃあ、どうするか?血縁関係や年齢に基づいて「息子」「娘」「孫」などの言葉を使っているそうです。

さらに、ピダハン語には赤ちゃん言葉がないそうで。
その理由は一説に、社会の構成員は全て対等であり、子どもと大人は違った扱いを受けるべきではないという信念がこの民族にはあるからだそうです。


日本やアメリカが劣っていて、ピダハンが素晴らしいと言いたいわけではありません。
社会が違うと言葉も違う。
カチカチで変わりにくいと思っていた「言葉」も「社会」も、案外変わりうるものなのかな〜と感じたということです。

お忙しいなか最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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